命運を賭けた“いとしのエリー”

桑田さんが曲作りに苦しんだ末にリリースした3枚目のシングル“いとしのエリー”。
今でこそ日本の音楽史に残る不朽の名曲として万人に認められてますが、発売当時からすぐにそのような評価を受けたわけではありませんでした。

サザンのそれまでのコミカルと言ってもいいイメージとは180度違うバラードだったこともあって、サザン・ファンにしてみれば、いつもオチャラケてる人にいきなり真面目な顔で愛を告白された時のような、「え?、何?、マジ?」という感じで、すぐにはピンと来なかったようでした。
しかし、逆に、それまでサザンに興味を持ってなかったり、全く先入観を持ってなかった人達にはとても美しいバラードということで好評でした。

いずれにしても、この曲を聴いた大衆は度肝を抜き、面食らってしまったんです。
僕もこの曲を初めて聴いた時、勿論いい曲だと思いましたが、同時に、「これがあのサザン?」という、感動と驚きが入り混じった感情を抱いたことを覚えてます。

僕はサザン初の全国ツアー“春五十番コンサート”のライヴを某地方都市で観たんですが、この時のサザンはそれはもう本当に必死でした。
「この曲がコケたら終わりだ」と彼等自身実感してたんでしょう。
“エリー”の歌詞カードを聴衆に配って、「一緒に歌ってください」、「この歌を覚えてください」、「有線にリクエストしてください」、「ザ・ベストテンに葉書を出してください」と懇願し、アンコール時も含めて、数回演奏したほどでした。

こうした努力が実って、“エリー”は見事にヒットし、サザンはコミック・バンドではないということを世に知らしめたのです。
そして、サザンの音楽性の幅広さと桑田さんのソング・ライティングの才能は広く高く評価されるようになりました。

ある時を境にして、急激に音楽性の評価が高まるという現象は後に大物になるバンドによく見られることで、桑田さんが敬愛するビートルズもそうでした。

現時点で、「サザンと言えば?」と問い掛けると、“TSUNAMI”と答える人が多数だと思います。
売上枚数や記憶の鮮明さからすると、無理もありません。
しかし、僕なら迷わず“いとしのエリー”と答えます。
もしあの時点で“エリー”が生まれてなかったら、大衆に高く評価されなかったら、サザンオールスターズというバンドはとっくの昔に消滅してたんじゃないでしょうか。
そう考えると、僕はサザンの命運を賭けた“いとしのエリー”を推さざるを得ないんです。

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